Redefining Materialism

 
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~ Redefining Materialism ~

- 物質主義の再定義 -

 

 

 

50年?...いや100年200年300年先の誰かを想い
[撮り-育て-残す]写真。

デジタルデータの写真には
「生き-死ぬ」しか存在せず
その別れは突然来てしまう。

ただフィジカル写真は違った。
悠然と時を刻み姿を変えながら
「生き-老い-病み-死ぬ」
“生老病死”を示してくれる。


“有限の生”と“無限の愛”の残り香を漂わせながら. . .

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(クリックすると開きます。)

1:写真の残し方?

 

私たちは現在、写真のデジタル化の恩恵の下に暮らしています。
デジタルカメラや携帯電話を持っていれば、
何不自由なく、いつでも、何枚でも、写真を撮ることができるようになりました。
 

しかし、
その容易性と利便性ゆえに、
今後先 見返すことのないであろう写真たちが増え続けてしまい、
残すべき写真の選定が難しくなっている
そんな経験ありませんでしたか?

大切な写真もそこまで大切じゃない写真もひとまとめに
寿命が短く壊れやすいデジタルデバイス、
携帯電話やメモリーカード、ハードディスク、ノートパソコンなど
デジタル機器だけに保存していませんか?
 

私たち現代人の写真文化は、進歩しているようで実は衰退しています。
人は一体何のために写真を残すのでしょう。
あなたは一体何のために写真を残そうとしているのでしょう。

MATERIALISMプロジェクトには、この現状を打破する ロマン溢れる解決策があります。

それが

「古典写真技法/Classic Photography=クラシック・フォトグラフィー」
です。

初めて聞いたという方がほとんどでしょう。
それもそのはず。
写真業界に身を置く多くの者でさえ 知らない・見たことのない
忘れ去られた写真撮影技法なのです。

金や銀などを含んだ化学薬品を調合するところからはじまるこの写真技法は、
まさに《最古の最高写真技法》です。
ご自宅にガラス板の古い写真があるという方もいらっしゃるかもしれませんが、
その時代よりもはるか昔に用いられていた工場大量生産以前の写真技法です。

その銀板やアルミプレート上に焼き付けられる像は非常に精緻で、
現代の写真を凌駕するその独特の輝きと美しさに驚くこと間違いないでしょう。
そして1800年代当時の写真が現代に至ってもとても綺麗に残っているほど、
写真の命がとても長いというのも一つ、この写真技法の魅力です。
この「写真の命」というのが私たちのMATERIALISM プロジェクトと深く関わってきます。

私たちのプロジェクト名であるMATERIALISMマテリアリズムとは、
「物質主義」という意味です。
バーチャルな電気信号から成るデジタルデータの写真だけではなく、
“触れる” ことができ、そして見た目が “時と共に変化” していく、
そんな物質的な写真の存在価値について 今一度考えてみよう、
という試みを表現するために選んだ言葉です。



さて、では
この「古典写真技法/Classic Photography=クラシック・フォトグラフィー」とは、
一体どのような写真なのでしょうか...
次項でご説明致します。


Key Wordは、
「育てる」です。
 

 

2:写真を育てる?

MATERIALISM (JAPAN) プロジェクトが使用する古典写真技法は全部で3種類あります。

1:【Daguerreotype/ダゲレオタイプ】
2:【Wet Collodion Process/湿板コロディオンプロセス】
3:【Dry Collodion Process/乾板コロディオンプロセス】

(*詳細は下記記載のURLリンク先にて)

これらの写真技法は、
150年以上前の写真発明時 “最初期” の写真技法であるため、
「古典写真技法/Classic Photography=クラシック・フォトグラフィー」を
好古趣味的な感覚で撮影をしていると、そう捉えている方も多数居られました。
 

しかし、そうではありません。
単なる「好古主義」ではないのです。
皆さんに本当に知っていただきたい これら写真技法の特徴、
それは、写真が本来持っていた“物質的” な側面です。

物質的、つまりフィジカルな写真

私たちMATERIALISMはこれらの写真技法を、
《デジタル写真》の対語として《フィジカル写真》と呼んでいます。

《フィジカル写真》の最大の特徴は “寂びる” ということです。
“寂びる” という言葉は決してネガティブな言葉ではありません。
私たち日本人は元来、それをポジティブな概念として捉えてきました。
そうです、日本固有の美的概念とも言われている あの「侘び寂び」の“寂び”です。

デジタルデータの写真は、バーチャルな世界で生きる0と1の電気信号から成る
”触れる”ことができず、“寂びる”こともない写真です。

しかし《フィジカル写真》は、常に私たちの隣で生き続けていきます。
“触れる”
ことができ、時の経過と共に“寂びていく”写真です。
それはまるで盆栽のように、年輪を重ね、表情を変えていってくれます。
ですから写真も実は「育てる」ものなのです。

 

さて、突如出てきた耳慣れないワード、「写真を育てる」。
このワードにピンと来ていない方は是非、次項をお読み下さい。
誰でも絶対に経験したことのある出来事で、その感覚をご説明したいと思います。

 

3:写真は誰のもの?

おじいさん おばあさんの何十年も前に撮影された紙、あるいはガラス板の写真。
皆さんも一度はどこかで見たことがあるかと思います。

歳月を重ね、大切に保管されてきたその写真たちは、少し色褪せ傷がついてしまっている。
ただ、その外傷こそがもっとも “写真らしさ” というものを具現化してくれている要素なのです。

その写真のシミ、色褪せ、傷は、その写真が作り出された時点から現時点までの“時の経過”を表しています。
「そんな分かりきったことを何をいまさら」と思ってしまったあなたに、是非読み続けて頂きたい。

確かに、デジタルデータの写真であっても、“時の経過”というものは感じることができます。
数年前の写真をパソコン画面で見返しても「あ~懐かしいな~。」と思うことができます。

もしかしたら、40年後に見返すデジタルデータの写真であっても、
あの少し色褪せ傷がついてしまった写真と同程度に、何か感じるものがあるのかもしれない。

しかし、デジタル写真時代が来てまだ10数年、確かなことは言えません。

 

ただ一つだけ、
確かなこと
があります。

それは、
人は物から伝わる歳月の経過に、
その物の尊厳さを感じる生き物だ

ということです。

 

「だからどうして今更そんな分かりきったことを...」とお思いの
いや、そう思えることができているあなたにこそ
是非読み続けて頂きたい。
 

例えば、
あなたが 最近流行りのフイルムカメラを始めたいと思い
自分のおじいさんから一機だけフイルムカメラを 譲り受けるとします。(同じ機種)

おじいさんの押入れに入れっぱなしであった未使用のフイルムカメラか。
おじいさんの普段よく使用していた所々傷がついているフイルムカメラか。

どちらのフイルムカメラの方が嬉しいでしょうか。
多くの方が後者のフイルムカメラを 選ぶのではないでしょうか。

では、この場合はどうだろう。
おばあさんの一度も着ないでただただ箪笥の中で眠っていた着物か。
おばあさんの一度ある大切な日に着たことがあった思い出の着物か。
先ほどと同じく、どちらか一つだけ譲り受けるとしたらどちらを選ぶだろうか。

私たち人間は、実はこういった文脈を非常に大事にする生き物なのです。


デジタルデータの写真は、いつまで経っても “新品” です。
デジタルデータの写真は、インスタントなシェアリングには非常に向いています。
便利で簡単で、何枚でも撮れます。

しかし、
全ての写真をデジタルで保存する というのは、

なんだか間違っているかも...

と、感じ始めてきたあなた。
わたしもあなたもいま立っているところは同じです。
私たちはいま、写真文化の最先端に立っているのです。
この危機感にまだ気づいていらっしゃらない人は巨万といます。
気づいていても解決方法がわからない人たちもいます。
2011年には現代の写真文化が引き起こした ほんとうに嘆かわしい悲劇も起こりました。
(次項でお話します。)



物事は何でも矛盾を抱えいるものです。
正の側面があれば負の側面があり、
あらゆる物事は「テーゼ(正)→アンチテーゼ(反)→ジンテーゼ(合)」と、
この繰り返しによって発展していきます。

2018年現在の写真文化の最先端がいまここにあります。
忘れ去られた1800年代の最古の写真技法たちが いまここに帰って来ました。

是非この機会に私たちと一緒に、“本来の写真”というものを取り返してみませんか?
50年、いや100年200年先の誰かを、

“想い - 育て - 残す”

そんなロマン溢れる 最古の 最高写真技法です。

誰も知らない、写真の専門家でさえ詳しく知らないほど、
この気運はまだ始まったばかり。
 

 

The Photo Which Grows With Us.
写真は 撮って半分 育てて半分。

 

 

2018年1月20日
伊藤 悠吾

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